ACE COMBAT8 WINGS OF THEVE

SPECIAL

ダークブルー 片渕須直

10歳くらいのことだ。サマーキャンプから帰ったあたしは、たわいもなくこんなことをきいてしまった。
「ねえ、さびしかった?」
その時のじいちゃんの顔は忘れない。けれど、じいちゃんはあたしを抱きしめて、白髭だらけの顔でほおずりしてくれた。
「さびしかったとも、おお、さびしかったともさ」

と答えるじいちゃんを、あたしは、パイプ煙草臭いな、と思った。あたしたちはこの頃にはもうふたりだけの家族だった。

もう何年か経って、あたしがいくらか物を考えられる年頃になると、じいちゃんはまた別のことをいった。
「さびしかなんてないのさ、アビー。生きてまた会えるとわかってるのなら」

コーンウイスキーが入ったマグカップ片手に、ポーチのロッキングチェアのじいちゃんの背中をながめて、あたしはこの家でじいちゃんとふたりきりになってもう何年になるのだろう、と考えた。空気は透明で、暮れなずむ空は深いすみれ色をしていた。
「だが、死に別れることのほかにさびしいことがあるとすりゃあな、それはな、同じものを信じる人間どうしで引き金を引きあわなくちゃならない時だ。わかるか、アビー」

あたしにはよくわからないところもあったので、考えるふりをした。
「もしくは、そうした状況に追い込まれることだ。人の意思でな」

あたしの鈍い勘にも、今度の言葉はわかるような気がした。
「とうさんのこと?」
「まあな」
野鹿たちがポーチに近づいて来た。じいちゃんは、用意していたパンのかけらをいくつか放った。
「わしらも晩飯にしようかの」

食べ終わったあと、その晩はあたしが当番だったので、皿洗いをした。洗い終わったあたしがテーブルに戻るのを待っていたじいちゃんは、話を続けた。その夜は何かを語りたい気分だったのだろう。
「アビー。お前が生まれた晩のことはよく覚えとるんだ。まるで天使がそこらじゅうの空を飛び回るような素敵な夜だったさ。わしとお前のとうさんは気持ちよく飲んだくれてな。赤ん坊のこともかあさんのこともばあさんに全部押しつけてさ。なんてひどい男たちだったのだろう。おお、二人が今もこのテーブルを囲むようなら、わしはなんだってするよ。お前のとうさんもきっと同じ気持ちだろう。ああ、ささやかなる三つの魂に平穏あれ。その頃はな、戦争らしい戦争なんぞも起こらない時代じゃった。空軍なんてのは世の中で最も金のかかる役立たずでな。うちは四代続けての戦闘機乗りの家系だからな、ずいぶんと罰当たりなもんだな」

じいちゃんの目は、壁にかけられたたくさんの写真額の上をさまよった。そこにあるのは家族の写真でもあり、まだプッシャー式の複葉機の頃から最近に至るまでの航空史の記録でもあった。
「役立たずな軍隊ほどすばらしいものはない。わしらはな、必要悪だった。お前は違う、お前は違うんじゃよアビー。この家の男どもがそこにいた空軍とやらのことさ。毎日毎日飛ぶことに切磋琢磨し、技を磨き、それもなんのことはない、人が乗ってる飛行機に向かってぶっ放す、それだけのためなのさ」
じいちゃんは椅子から立ち、壁に向かった。そして、一枚の写真の額をいとおしそうに撫でた。
「だが、わしらが磨く技というのも、いつもいつもそのためだけだったわけじゃない」
その写真には、水の上にぷかぷか浮かぶ水上機と、岸壁に立つ何人かの男たちが写っていた。いかにも大出力なエンジンを内蔵した感じのロングノーズの機体。何千馬力出るのだろう。
写真の中のじいちゃんの顔は今とあまり変わらない。ひげだらけで、ロングビルのキャップをかぶってる。田舎の農家の親父さんみたいだ。ひげもじゃだと酸素マスクをあてられないから、もう現役を退いた後だったのだろう。そのとなりで車椅子に乗っているのはひいじいちゃんだと思う、もっともっと白ひげだらけだった。
「そうだ、これはわしの父親だ」
あと何人か、知らない人たちも写っていた。だが、ひときわ人目を引いたのは、その真ん中に立った飛行服姿のとうさんだ。
「この水上機レースはな、わしの父親のそのまた父親の時代から、あいだに何度も中断をはさんだが、80年と少し続いた。いや、なかなかのものだったよ、各国チームが色とりどりの機体を並べてな。そして、スーパーチャージャーをフル回転させたあの爆音」

あたしの鼻にもガソリンが大量に燃える匂いが届いてきそうだ。
「優勝者にはトロフィーを手にする権利が与えられてな。波間に浮かぶ幾多の男たちのただ一人だけが、天から舞い降りた飛行機の女神からキスを受けることができる。それをそのまま象ったトロフィーだ。なんとも神々しかった」

あたしもそれをこの目で見てみたいと思った。女の子でも女神のキスは受けられるのかな。
「最初から最後までレシプロさ。レシプロしか許さないルールだった。水上機が有利なのはどこだか知っとるか、アビー」
「滑走距離を無限に使えるところ」

あたしはまだハイスクールに通う齢だったが、この年からはもう農業用飛行機で農薬散布や種蒔きを始めてたから、そうした意味合いもリアルにわかった。どうかしたはずみで速度が上がりきらないまま、滑走路のエンドが近づいて来るのほどおっかないものはない。
「そのとおりだ。翼面荷重も深く考えなくて済むし、エンジンだってくそデカく作れる。馬力の上げ放題だ。なあ、アビー。戦争なんてなくたって、航空機の技術は発展できたんだ」
「うん。そうだったんだろうね」
「空軍に籍があっても、このレースに出ることは許可された。国の誉になるとかなんとか、そんな理由だったんだろうがな。ああ、そうだ、お前のいうとおりだ、水上機ならいくらでも大きなエンジンを載せられる。もっとも、ジェットエンジンが出てきてからは、レシプロの発動機馬力向上ばかり競うのも意味がないとか誰かがいい出して、旋回性能がルールに加わった。かまわんさ。それもまた技術発展への寄与なのだから。レースに使う飛行機はどんどんよくなった。戦争なんてなくたって、航空機の技術は発展できたんだ。戦争なんてものはロボットにでも任せとければいいのさ」
「じいちゃん」
「ん?」
「その辺の話は、悪いけど、何度も聞いたよ」
「そうか。そうだな」

じいちゃんは押し黙った。

あたしはいい過ぎたと思った。話に合わせてあげることにした。
「でも、そっちの写真のことは聞いたことないな」

あたしが指さした別の額には、とうさんの水上レーサーとそっくりに写ったもう一機の写真があった。まるで左右対称のように撮られていて、水上機がもやわれている手前の岸壁にはやはり何人かの人物が写っていた。そういえば、それまでその写真のことをあたしは訪ねないままきていた。なぜだったのだろうか。
「これはあれだ。エルジアのチームだ」
「どっちが速かったの、とうさんと」

じいちゃんの饒舌は失せた。じいちゃんは、テーブルに戻ると、いつもの古びたマグカップにコーンウイスキーをもう一杯注いだ。

それを何口かすすると、じいちゃんはようやく続けた。
「正直互角だったといいたいところだがな。まあ、似たようなタイムだ。だがな、レースなんてもんは、コンマゼロゼロ何秒かでも、速い方が勝つ。実情は機体でオーシアチームが勝り、技量でエルジアが勝っていた」

じいちゃんは、遠い目をした。勝ち負けについては聞くな、といっているようだった。そして、話はそこで唐突に終わった。76歳の老人が喋ることなどそんなものだ。

しかし、この夜の話は何を語っていたのだろうか。孤独についてのことから始まった会話だったのではなかっただろうか。

じいちゃんがその続きを語り始めたのは、数日後、土曜日に農業機を飛ばして、戻ってきたうちの格納庫でのことだった。
「そこだ、アビー。そこにある」
「え?」

じいちゃんは、奥にある工具でいっぱいの棚を指し示した。
「木箱だ」
「これ? 何これ」

それはほこりをかぶって古びた木箱だった。
「持ってきてみな」

あたしはいわれたとおりにした。

そして、じいちゃんのいうとおりに蓋を開けてみた。

あたしはこの目にした。
波間に浮かぶいくつもの男たちの頭。波の一番高いところにいるただ一人だけが、ほまれ高くも天から舞い降りた飛行機の女神からキスを受けているところ。その場面を象った銀色の置物。
「本物なの、これ。」
「本物さ。一等賞だ」
「こんなところに置いといていいものなの?」
「それを取った本人がそうした方がいいと思ったんだろう。それでいいのさ」
「機体でオーシアチームが勝り、技量でエルジアが勝っていた。そのせいなの? それでとうさんこんなとこへ」
「どうかな」

じいちゃんはコーンパイプをひとつふかした。

あたしは、トロフィーを見つめた。
「超音速で飛ぶようになって何十年も過ぎた頃にもなってそんなことをいうのは、アナクロニズムもいいとこなのさ」
「ちがうよ」

それだとこのあいだと話の向かう先が違うではないか。あまりにも違い過ぎる。
「お前のとうさんには何か思うところがあったんだろうな。やつはレースが終わるとすぐに、トロフィーを握ってエルジア・チームの格納庫に向かったよ。何をどんなふうに話したのかわしは知らん。その夜が明ける頃になって、やつと相手方のパイロットが飲み屋でぶっ倒れるまで飲んで、眠りこけてるのを誰かが見つけた。なにか約束を交わしたらしかったな。トロフィーはとりあえずあずかっておけ、来年のレースで決着をつけよう、とかなんとか。よくは知らんがそんなところだ、どうせ。二人の真ん中のテーブルの上に、そのトロフィーがあった」

あたしはトロフィーをじっと見つめ、顔もよく覚えていない父親のことを思った。
「それがな、アビー。お前が生まれた翌年のことで、さらに次の年にはベルカとの戦争が始まった。その四年後には隕石が降って、また戦争になった。そいつはな、アビー。最後の優勝チームが受け取ったトロフィーなんだ。以来、レースはもう開かれてない」

あたしはトロフィーを家に持ち帰って、テーブルの上に置いてみた。のぞきこんでみると、トロフィーのてっぺんの女神越しに、水上機と男たちの二枚の写真が見えた。
じいちゃんはいった。
「その女神はどこから来たか知ってるか、アビー」
「空の上から?」
「空をな、ずっとずっと昇った高い高い上からだ」
天国だとかいうんじゃないでしょうね、とあたしは思った。
「いいや、神様がいる天国なんかじゃないさ。ずっとずっと昇ったそこにあるのはな、アビー。ダークブルーの空だ」
「ダークブルー」
「スカイブルーの空は、高度を上げるうちに過ぎ去る。超高空にはもう雲もない。ダークブルーの空がただ広がっとって、そうだ、そこから地上を見下ろすとだな。見えないんだよ」
じいちゃんは、少し間をあけて言葉を継いだ。
「見えないんだよ、国と国を仕切る国境線なんてものは。わしも、X-15を飛ばしてた頃には何度もそこに昇った」
「ダークブルーの空へ」
「はっ。ないんだよ。オーシアだのエルジアだのベルカだのユークトバニアだの、そのあいだを区切るくだらん国境線なんてものはまるでなくてな、ただ、人や獣たちが住む地面が広がっているだけなのさ。女神はそうした景色を見下ろせるところから来た」

あたしもそれを見たいような気がしてきた。
「だがそこは限りなく孤独な世界なんだ。そこまで昇るといつも独りぼっちだ」

そこにつながる話だったのか。
それがその年九月のこと。

新しい戦争が始まったのは、格納庫の古ぼけたトランジスター・ラジオで知った。おだやかな音楽が流れていたはずなのに、急に中断されると臨時ニュースが始まった。
「今日の仕事は中止だ。機体に覆いをかけて、家に戻ろう」

じいちゃんは、古いピックアップをとばした。その間も、カーラジオが戦争のニュースを流していた。

じいちゃんは、家に戻って電話をかけたかったらしい。相手は誰だか知らない。じいちゃんは、電話しながら盛んにメモを取っていた。
じいちゃんは壁に地図を貼った。セレス海を真ん中にして、何枚かの地図を貼り合わせて、オーシアから戦争の相手国ユークトバニアまでを見渡せるようにしたものだ。じいちゃんは、その大きな地図の上に何枚かの紙切れを貼った。
あたしは戦況を書き込んでいるのかと思った。だが、のぞきこんでみると、じいちゃんが貼った紙片のそれぞれには、人の名前が書いてあるようだった。海の上に貼られているものもあった。
「乗ってた人?」
「帰るべき地上を失くしてしまった人たちだ。こっちはスヴェンソン。島の上に貼ったこっちのはベイカー」
「知ってた人?」
「わしが退役した時にはまだひよっこだったのだが、まあ、少し縁があった。それでまあ、結婚式に呼ばれとったんだがな、この二人の」
「そういう二人だったの?」
じいちゃんはうなずいた。
「いつも一緒にいたな。二卵性の双子みたいにな」
戦争が続けばこれからも飛行機が墜ちる。乗っていた人は氏名だけを残してこの世から退場する。あるいはただの数字になる。
「だがな、そうした数のひとつひとつはそれぞれ人生を持っていた人間なんだ。忘れちゃあいかん」

じいちゃんは、地図をにらんだ。
「ユークトバニアとオーシアの間で戦争になるとはな。ハーリングの理想主義者的宥和政策とやらも地に墜ちたか」

じいちゃんは、ポーチへ出て、空が眺められるロッキングチェアに座り込んだ。
「やつが大統領になったのは、このひとつ前の戦争のさなかじゃった」

じいちゃんは日頃から、あたしたちの国のハーリング大統領に対して少し批判的だった。
「まだその前の大統領のときから、ISAFにオーシアからも派兵する方針になっていた。それが、ハーリングに変わったとき、ユージア大陸に派遣予定だった兵力が大幅に削減された。政治的には、ハーリングのいうことは正しい。だったらな、全部やめりゃよかったのさ、少数派遣なんてのに留めず。けれど、参謀本部の中に、大きな戦争にいっちょ噛みしておきたい連中がおってな。現実の戦争が作り出す様々な状況の変化を吸収して、世界から取り残されないようにしたいと思ったんだ」

かすかな風が吹き渡った。空には星々が瞬き始めていた。
「あの戦争では、落ちて来る星を撃ち落とすための大砲が、人が乗った機体が飛ぶ空に向けられた。阻止するための攻撃隊が編成されて、オーシア空軍の現地指揮官の裁量で、オーシアからの派遣隊もそれに加えられた。だが、エルジアの方でもストーンヘンジ直衛戦闘機隊を置いて待ち構えていた。最優良部隊だ。結果は目も当たられん」

あたしはじっとじいちゃんの横顔を見つめていた。
「お前のとうさんの小隊は、撤退援護を命じられていてな、これもオーシア空軍の現地指揮官によってだ。最後まで空戦に残った。相手は、地上のエルジア軍からの誤射を防ぐために、機体の腹側を黄色く塗った防空中隊じゃったという。最後は一対一だ」

じいちゃんは写真額が並ぶ壁のところに戻って、その前に立った。
「その相手が、あいつだったということを」
「水上機レースの相手チームの人?」
「ともにのんだくれて明日を誓った相手だ。とうさんなら一度はやつに勝っていたから。オーシア空軍の現地指揮官というのはそれを知っていて、お前のとうさんをそこに送り込んだんだ」

じいちゃんは最後の言葉を呟いて押し黙った。
「最後は一対一でな」

その相手のパイロットも戦争の中で倒れたという。彼にも名前はあったんだろうか。それを聞いておかなくては、と思ったときには、じいちゃんはもうこの世にいなかった。

あたしも、あの空の上を目指したい。そこへ昇ると、敵だの味方だのを仕切る地上の境目なんかなくなるという、女神の住む超高空を。
ダークブルー。